レース中の大クラッシュから奇跡の生還。
第一線のレーシングドライバーから一転、
車椅子生活となった後も
ポジティブに進み続ける長屋宏和。
彼が何を想い、何を目指しているのかについて語る。
レース中の大クラッシュから奇跡の生還。
第一線のレーシングドライバーから一転、
車椅子生活となった後も
ポジティブに進み続ける長屋宏和。
彼が何を想い、何を目指しているのかについて語る。
— 今の自身にとっての、モータースポーツとは
「普段の生活とモータースポーツでは時間軸が全く違う。普段の生活で0.1 秒を感じることはなかなかないが、サーキットでは同じ0.1 秒がとても大きい。サーキットではいつも、その0.1秒の大切さを感じさせられる。
ドライバーであった頃はレースに集中してとにかく勝つこと、チャンピオンになることしか考えていなかった。
事故の後は客観的にモータースポーツを捉えることができるようになり、そこには日々の生活に役立つことも多く詰まっているとわかるようになった。
今は監督という立場でドライバーの育成に関わっており、自分がドライバーであった頃の経験に、車椅子での生活から始まったビジネスの経験を加えて、ドライバーにとって大切なものを教えられていると思う。」
— 車椅子ユーザーとなって見えてきたこととは
「健常者であった頃は、車椅子の目線は全く考えたことがなかった。
自分自身が車椅子ユーザーとなって初めて街に出たときに、それまで気付いていなかった段差や傾斜などを感じるようになった。
また車椅子の生活になってからは、自分の着たいものや欲しいものを見つけることが途端に難しくなった。そこで、母親の洋服のリフォームの仕事を活かして自分に合う服を作り始めた。それが知人からの反響を呼び、自分自身のブランド“ ピロレーシング” を立ち上げることにつながった。
自分の経験を活かして車椅子ユーザー向けのファッションの仕事をできるようになり、それで喜んでいただける方がいらっしゃることは、光栄なことだと思っている。また、自分にできることがあれば、積極的に活動を広げていきたいと思っている。」
— EXGEL(エクスジェル)との共同開発のきっかけ
「最初にEXGEL を知ったのはモータースポーツだった。その後福祉機器展でも同じEXGEL のロゴを見つけ、最初は同じブランドだとは思わなかった。そこから、EXGEL がモータースポーツと福祉機器の両方を手がけている会社であることを知り、自分がピロレーシングを通じて実現したいと考えてきたことを、EXGEL と一緒に取り組みたいと考えるようになった。
自分自身も15 年程前からEXGELの自動車用クッションを使っていてその良さは知っていたし、そこに自分の実現したいことを組み合わせることで、より良いものが作れると思う。」
— アウルActive に込めた想いとは
「今までモータースポーツと福祉は接点が少なかったが、EXGELでそれを一つのものにできる。またその先に何か、新しい発見があると思っている。今までにないことをやっていく楽しみがあるし、この先もどうなっていくのか楽しみに思っている。イメージはとても大事で、カッコよいイメージを作り上げることはなかなか難しいが、レースはやはりカッコよいもの。
そのカッコよさを福祉製品にも取り入れ、アウルActiveを使うことで気持ちも前向きになってもらいたい。」
— 開発でこだわった点は
「やはり一番は除圧。それからカッコよさ。
除圧の性能は車椅子のクッションとして絶対に外せない部分で、自分が納得できなかったら安心して他の方に使っていただくことはできない。車椅子のクッションにはこれまでカッコよさの部分が足りなかったと思う。実際に手にとって使ってみたいと思ってもらえるようなものを作りたかった。また、今までは海外の製品を使うのが当たり前だったが、Made in Japanの良いものを作ることで、日本だけでなく世界中の方々に喜んでもらえるものを作れると感じた。」
長屋宏和とEXGELが出会い、そして始まった車椅子用クッションの共同開発。
その舞台は、福祉機器の開発や指導に多くの実績をもつ横浜市総合リハビリテーションセンターとなった。
まずは長屋宏和の求める最適な除圧性能の実現。試作と評価を妥協することなく繰り返し、目標とする性能が見えてきた。
そして、長屋宏和こだわりの“カッコよさ”の具現化。EXGELのベストセラークッションであるアウルクッションのコンセプトを活かしつつ、よりシャープでアグレッシブなデザインを採用。
さらに日々の使い勝手を考慮した厚みの設定、カバーには色を選べる楽しみを盛り込むなど、細部までこだわった開発が続いた。
そして、アウルActiveが完成形へと近づいていった。
一般的なウレタンフォームの10倍以上の衝撃吸収力を発揮するEXGEL。
主に車椅子用クッションで使用されていたEXGELは、その卓越した衝撃吸収性が認められモータースポーツ分野でも広く知られる存在となった。車椅子上で安全や快適性をもたらし、またモータースポーツのフィールドでは強いGや衝撃などからドライバーを守る。
この多様な可能性を持つのが、EXGELだ。
衝撃を吸収する弾力性 体への衝撃を、おもちのような
優しい弾力で受け止め、
底つき感も防ぐ。
圧力を分散する柔軟性 約20倍にまで伸びても
元の形に復元する驚異の柔軟性で、
体に集中する圧力を分散。
ズレに寄り添う流動性 体が無意識に前後左右へと
ずれる動きにもぴったりと寄り添い、
負担を軽減。
ゴルフボールを1mの高さから落下。
ウレタンフォームがその半分ほどの高さまで跳ね返る一方、
EXGELは、ほぼ跳ね返りなく衝撃を吸収。(自社試験結果)
EXGELとウレタンフォーム、
それぞれに桃を押し付けて横にずらすと、ウレタンフォームは摩擦により
皮に傷がつくのに対し、EXGELは無傷。(自社試験結果)
1990年代に車椅子用クッションの素材として存在感を高めつつあったEXGELは、その機能を活かし自動車用クッションを開発。車椅子用クッションの開発を通じ蓄積したノウハウを投入したEXGEL自動車用クッションは疲労や腰痛の軽減効果が認められ、徐々に認知されていった。
そんな中、EXGELがモータースポーツの現場でも使えるのではないかと着目され、そのリクエストに応える形でEXGELはシート用パッドやベルトパッドなどのプロトタイプをモータースポーツの現場に持ち込んだ。
またたく間にEXGELの評価は広まり、現在ではドライバーの首と頭部を保護するHANSデバイス用のパッドとして定番とも言える存在となった。
またEXGELの衝撃吸収性を活かし、レーシングカート用品の開発にも着手。その開発に携わったドライバーは、今ではフォーミュラカーレースの第一線で活躍する福住仁嶺、笹原右京らであった。
現在では怪我の多いレーシングカートのドライバーを保護する装具として、EXGELはトップブランドに成長した。
その評価は日本国内だけでなく、海外においても高まりつつある。
福祉・リハビリテーションとモータースポーツ。 一見全く関連のないこの2つの分野が、EXGELにとってはともに重要なチャレンジのフィールドである。
車椅子用クッションの開発を通じて得たノウハウをモータースポーツに活かし、またモータースポーツの最前線で磨いた感性やイメージを車椅子用クッションの開発にも取り入れる。
これを成し遂げられる唯一の存在が、EXGELなのだ。
EXGEL素材の持つ可能性が、車椅子ユーザーの可能性も、レーシングドライバーの可能性も高めていく。
それを実現するために、EXGELの挑戦は続いていく。
品名 | アウルアクティブ |
---|---|
サイズ(mm) |
■ 厚み9.5(cm)タイプ W320xD400xH95 W340xD400xH95 W340xD420xH95 W340xD460xH95 W360xD400xH95 W360xD420xH95 W360xD460xH95 W380xD400xH95 W380xD420xH95 W380xD460xH95 W400xD400xH95 W400xD420xH95 W400xD460xH95 ■ 厚み6.5(cm)タイプ W320xD400xH65 W340xD400xH65 W340xD420xH65 W340xD460xH65 W360xD400xH65 W360xD420xH65 W360xD460xH65 W380xD400xH65 W380xD420xH65 W380xD460xH65 W400xD400xH65 W400xD420xH65 W400xD460xH65 |
カバー色 | レッド ブラック ブルー グリーン ピンク |
希望小売価格 |
■ 厚み9.5(cm)タイプ ¥55,000円(税込) ■ 厚み6.5(cm)タイプ ¥50,600円(税込) |
1979年 東京都出身
14歳からレーシングカートを始め、全日本カート選手権、ワールドカップ等に出場。 1999年にはフランスに渡りフォーミュラ・ルノー キャンパスに参戦。
2000年、2001年のフォーミュラ・ドリームを経て2002年には全日本F3選手権へのステップアップを果たす。
2002年10月13日。
鈴鹿サーキットでF1グランプリのサポートレースとして開催されたフォーミュラ・ドリームにゲスト参戦し、レース中の大クラッシュで頸髄を損傷する重傷を負った。
2005年に自身のアイディアを具現化したブランド“ピロレーシング”を立ち上げ、車椅子ユーザー向け製品の開発・販売を開始。
2013年 内閣総理大臣奨励賞受賞。
2014年 秋の園遊会に参列。
著書
『それでも僕はあきらめない』
『それでも僕は夢を追い続ける』